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こんととさまそうどう

歴史 【事件】

 
 
華虚後期に聡杜地方北西部で起きた大規模な一揆および騒乱。
発端は佐桑国の農村で、村ごと紺天教へ帰依し『自然ならざる養蚕を辞める』と言い出したため騒動となり佐桑国側はやむなく討伐を命じた。
帰依者らはこれに対抗、更に周辺の滝切、鳴篠といった国々の紺天教徒らも同調し、三カ国の紺天教徒らが悠郷国国境付近に続々と集結。
道中徐々に人を増やしながら国境を目指す紺天教徒らは、愚図る子供をあやすためであったのか誰かが歌い始めた紺天様を慕う童唄『紺天様参り』が伝播し、最終的には数百、数千という集団が童唄を口ずさみながら練り歩くという異様な光景となった。
佐桑、滝切、鳴篠の三国の討伐隊も、そのあまりに常軌を逸した事態に『あれを国に引き戻したところで…』と困惑し、序盤の佐桑で起きた討伐以外は目立った戦闘はなく規模の割に驚くほど死傷者は少なかったという。
結果、悠郷との国境に紺天教徒らが防護柵を築き籠城するような形となり『熱心な信者らを保護しないわけにはいかぬ』という名目で悠郷国が村々を取り込み、その後もじわじわと増えた帰依者らの村も併合してゆき悠郷国は大幅に領地を増やした。
 
     
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