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しちせんちょうさん

歴史 【伝承】

 
 
華虚中期頃に、濃代地方の高茂明国で起きた前代未聞の大規模な逃散。
当時の国主・画明の圧政に耐えかねた領民らが一斉に村を捨て逃亡した騒ぎであるが、その呼び名のせいで「七千人もの領民が逃げた」「そのせいで国が滅んだ」といった尾ひれの付いた伝説が他地方にも広まっていた。
しかし実際には「七つの村の、千人の民」が逃げたという話であったことが後に判明したのだが、濃代地方では領主の家で嫡子を叱るときなどに「そんなことでは七千の民に逃げられた北の殿様みたいになるぞ」などと言い聞かせることがあるため未だに誤解が改まっていない場合が多い。
 
     
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